マイコン BASIC Magazine 1986年10月号
- 表紙
- 裏表紙
表紙
以前ご紹介したベーマガより更に古いベーマガが見つかりましたので、ご紹介させていただきます。実は90年代のベーマガも所有しているのですが、見比べてみると80年代の方が明らかに熱量が高いというか何というか。やはりこれは掲載されている豊富なパソコンの種類と、豊富なプログラム数による所が大きいのではないかと思います。BASICという言語も、この時代はまだまだ健在でしたし、自分自身も何だか何かに燃えていたような気がします。80年代はパソコンが自然淘汰されて行く前の、今考えると、とても貴重な時代だったのかもしれません。
Super MZ
白く輝くディスプレイが眼に眩しいMZ-2500シリーズ、Super MZの広告です。発売は1985年10月。8ビットMZシリーズの最終機種となります。「フラッピー」「テグザー」「ハイドライド」などなど、後ろに並ぶゲーム画面を羨望の眼差しで眺めていたのは、いつの頃だったのでしょうか。元祖縦型シューティングゲームの傑作、あの「ゼビウス」の画面も確認出来ます。画面上部の「アンドアジェネシス」も美麗グラフィックで綺麗に再現されています。様々な機種に移植されたゼビウスですが、8ビットパソコン用の移植作品としては、このMZ-2500版が最高の出来だったのではないかと言われています。
X1 turbo II
シャープのX1 turbo IIの広告です。発売は1985年11月。X1発売3周年を記念して特別限定色の黒が登場しました。
さて、X1で真っ先に思い出すのは、やはり多くのアーケードゲームがテープ媒体で(コレ重要です)移植されたという事実でしょうか。当時は本当に羨ましく、雑誌に掲載されているゲーム画面を眺めては、ため息をつく毎日でした。
今でこそ動画サイトで実際の動きを見て、その余りにも想像とは違う動きに愕然としたりする事も出来るのですが、昔は情報源と言えば雑誌に掲載されている「静止画」とちょっとしたレビューのみ。ソフト1本の価格も当然の事ながら高価なので、購入する際は本当にちょっとした博打状態でした。
購入後、実際にプレイしてみて「こんなハズでは…」と打ちのめされた方々も多々いたのではないでしょうか。しかしながらそれ以上に「家庭でアーケードゲームが出来る!」「無料で(という訳ではないのですが)何回もプレイ出来る!」などなど、そんな事実が勝り、全てが許せるような大らかな時代だったのではないかと思うのです。
X1G
薄暗い海上を飛行するヘリコプターが怪しくも格好良い、シャープパソコンテレビ X1 Gの広告です。発売は1986年7月。
X1シリーズとして初めてビデオ出力端子を搭載し、ゲームのプレイ画面をビデオに録画する事が可能になりました。また、最初からファミコン風のコントローラが使用可能で、ゲームメインのユーザーにとっては何とも嬉しい付属品でした。
因みに我が家の押入れには、中古で購入したModel 30がひっそりと眠っていたりします…。
NEC PC 88 NEWS
今ひとつ、その外観からは違いが分からないNECのPC88シリーズ「MR」と「FR」と「TR」の広告です。
これら3機種の違い。物凄〜く大雑把に言えば…
「MR」……最上位機種+PC-9800シリーズにも無い機能を
「FR」……エントリーモデル「SR」の廉価版
「TR」……「SR」に遅めのモデムを追加したもの
といった感じでしょうか。
その他にも「MH」「FH」「MC2」「FE」「FE2」「FE3」「VA」などなどが、あるみたいです…。
流石にちょっと触れるのはやめておきます…。
因みに「M」は「メガ」の「M」でフロッピーディスクが2HDに対応した事を表しているそうです。
PASOPIA IQ
NECのパーソナルイメージスキャナと東芝のMSX「PASOPIA IQ」の広告です。
その性能は置いといて、やはり当時のスキャナはかなり高価ですね。桁が一つ違います。
さて、「PASOPIA IQ」ですが、以前ご紹介した「PASOPIA」のMSX版ですね。この頃は、本当に色々なメーカーから個性豊かなMSXが発売されていました。
そして、MSX2ともなると先代のMSXに比べて機能もかなり向上して来ており、3.5インチフロッピーディスクドライブ搭載で、256色同時表示とは中々です。赤いスポーツカーの美麗グラフィックも良い感じです。
それにしても、セパレートタイプのキーボードや本体カラー等、渋くて格好良いなあと思っていたら、このパソコン、何と1986年に「グッドデザイン賞」を受賞していました。納得ですね。
FM77 AV
天然色パソコン「FM77AV」の広告です。以前ご紹介した「FM77AV40EX」の先代機種となります。発売は1985年5月。左下に「総、天、然、ショック。」と謳われている通り、これまでの8色表示を大幅に上回る、当時としては驚異的な4096色同時発色を可能としました。その衝撃を表現するために、かつてモノクロテレビがカラーテレビに進化した際に使われた言葉「総天然色」という言葉をもじって、使われています。
音源も従来のPSG音源+FM音源を標準装備、正にAVというネーミングがふさわしい仕様ではないでしょうか。従来機種のFM-7、FM-77との互換性が高いのも嬉しいところです。因みにキーボードはワイヤレスです。
MB-S1
何やら楽しげな若者たち。「パソコン通信」で知り合った仲間たちでしょうか。そして「キーボードトーク」!? なるものを楽しんでいるのでしょうか。
隠れた優等生と言っても過言ではない最強の8ビットマシン、日立 MB-S1の広告です。発売は1984年。8ビットマシンとして初めて1Mバイトという大容量メモリ空間を搭載しており、特に描画スピードに長けていたため、線画で描かれた疾走する馬と共に「走るS1」というキャッチフレーズが付けられていた時期もありました。
中々の高スペックを誇りながらも、少々割高な価格設定、広告展開のマズさ、強力なPC-8801mkIISRという存在、そして市場を席巻しつつあったNEC、富士通、シャープといった強大な波に飲み込まれ、残念ながらMB-S1が8ビットパソコン界に君臨することはありませんでした。
ナショナル FS-4500
黄色の背景色と黒い本体カラーの対比が印象深い、ナショナルのワープロ・パソコン FS-4500の広告です。
MSX2本体にプリンタとワープロ機能を持たせた、この「ワーコン」(と言うらしい…)。これは当時普及率の高かったワープロ人気に便乗して、パソコンの普及も高めたいという戦略、これがナショナルのMSX市場における他社との差別化だったのかもしれません。しかしながらこういった製品というものは、結局どっちつかずで中途半端な性能に陥ってしまう危険性もはらんでいるのではないか思うのです。果たしてその結果は如何ほどだったのでしょうか。
CASIO PB-1000
CASIOのポケットコンピュータ、PB-1000とマイコンソフトのジョイスティックの広告です。
これまで、PB-100やPB-110等は知っていたのですが、このPB-1000は初めて知りました。発売は1986年。
フラッグシップモデルらしく機能も充実しており、CASIOのポケコンとしては初めてマシン語に対応しました。グラフィック表示能力は192✕32ドットで当時最大、さらにタッチキー搭載などなど、最早ちょっとした小型のパソコン状態。当時のCASIOの意気込みが、ひしひしと伝わって来る逸品です。
九十九電機
九十九電気の広告です。
「50M走はダメだけど パソコンなら負けないよ!」
?
今ひとつ意味不明なコピーは置いといて、懐かしのパソコンが誌面を飾っています。
ご存知シャープの「パソコンテレビX1 G」「X1 F」。
富士通の「FM77 L2」「FM77 AV」。
NECの「PC-8801mkII FR」などなど。
左には「ツインファミコン」の姿も確認出来ます。ロムカセットとディスクカードが1台で楽しめる画期的な商品でした。
ALL ABOUT namco
電波新聞社より発刊された至極の3冊です。
この頃のナムコのゲームは、他社に比べて1歩も2歩も先を進んでいた様な気がします。それ位発売されるゲーム、そのほとんどが魅力に満ち溢れていました。
単純明快なルール、色鮮やかでコミカルなキャラクター、そして耳に心地よい軽快なVGMなどなど。
そんなVGMが自宅のパソコンで奏でられるという事もあって、右ページに掲載されている「namco VIDEO GAME MUSIC PROGRAM」は私の愛読誌でした。
対象機種と収録されている曲目のラインナップも、懐かしい限りです。
特選投稿プログラム
ベーシックマスターレベルIII用
実際に掲載されていたプログラムのご紹介です。対応機種はベーシックマスターレベルII/マーク5/S1用です。
ゲームの紹介に始まり、Dr.Dや編集部による「CHECKER FLAG」なる作品への批評、実際のゲーム画面、プログラム・リスト。これらが採用された際の基本的な誌面構成でした。「CHECKER FLAG」は、作品によってあったり、なかったりでしたが。
このプログラム・リストは比較的短い方ですが、長いモノになると数ページに渡るモノもありました。しかしリストが余り長いと、採用されない傾向にあったみたいです。
それにしても私自身、当時よくぞこれを手入力していたものです。「ゲームをしたい」という鬼気迫る執念の様なモノを感じぜずにはいられませんね。
ファミリーコンピュータ用
ファミリーベーシック用のプログラム・リストです。「V2.1A」は4つあるバージョンのうちの3番目のバージョンですね。
毎月、限られたメモリを駆使して色々なゲームが投稿されていました。
ファミリーベーシックは希望小売価格14800円で、1984年6月に任天堂から発売されました。ファミコン本体と同じ価格設定ですが「パソコン」として考えると、非常に安価な「パソコン」ということになります。
ファミリーベーシックは独自のBASICを武器に、ゲーム制作の敷居を大幅に下げました。その功績は大きいのではないかと思います。
FP-1000/1100用
カシオのFP1000/1100用のプログラム・リストのご紹介です。タイトル画面に出てくる一見「アンドアジェネシス」風のグラフィックスが目を引きます。プログラムの説明文のところに「マシン語データがまじっているので…」の一文がありますが、これは確かに注意が必要ですね。セーブせずに実行すると、最悪の場合「暴走」し、後は「リセットボタンを押すだけ〜♪」という悲劇を招くことになります。経験者は語ります。
MZ-700/1500用
キャラクターグラフィックを上手く利用した、どちらかといえばMZ-700 用のゲームプログラム・リストです。
ババヌキの起源は中々古く、日本では1907年(明治40年)に書かれた「世界遊戯法大全」の和訳として「お婆抜き」という名前で紹介されているのが、はじまりらしいです。
そう言えば、傑作揃いの「藤子・F・不二雄 SF短編集」に「ジジ抜き」という作品がありましたっけ。何とも物悲しいというか何というか、老人問題に触れた異色作品でした。
話が少しそれてしまいましたが、キャラクターグラフィックしか使えないMZ-700でも(無改造でビットマップ表示を可能にした、猛者もいらっしゃるみたいですが)工夫次第で色々と楽しめる作品が、数多く発表されていた時代だったなあと懐かしく思うのでした。
PC-8001mkII/SR用
PC-8001mkIIとPC-8001mkIISR用のプログラム・リストです。このように時折、ショート・プログラムが掲載されていましたが、この位の長さだと入力も気軽に行えたのではないでしょうか。それにしても、このプログラムの長さでゲームを作る技術、投稿者の手腕はたいしたものですね。
SC-3000用
セガのパソコン「SC-3000」用のプログラム・リストのご紹介です。左ページのプログラム・リストは、これまた短くて「入力しようかな」という気にさせてくれますね。
「SC-3000」は1983年に29,800円という低価格で発売されました。また、専用のカートリッジを挿し込めばゲームを楽しむことも出来たため「ゲームパソコン」という位置付けでした。因みに「SC」は「SEGA COMPUTER」の略だそうです。
この「SC-3000」に関しては、比較的長期に渡って「ベーマガ」に掲載されていたと記憶しています。
PB-100/110用 PC-1245/51用
何と、当時はポケコン用のゲームプログラム・リストも掲載されていました。しかしながら、特に「PB-100/110」に関しては、ご覧の通りその画面表示は限られていました。そこで文字をキャラクターに見立てた手法が、多く取り入れられていました。正に創造力の世界。しかしながら、それでもゲームとして成り立っていた訳ですから、中々です。良く言えば、趣が深いというか何というか。因みにこの「PB-100/110」も、長い期間「ベーマガ」に掲載されていたと記憶しています。
X1シリーズ用VGM「ツインビー」
投稿プログラムの最後を飾るのは「ザ ビデオゲーム ミュージック プログラム」の「ツインビー」です。
言わずと知れた、コナミの名作ですね。コナミのVGMは、本当に名曲が多いと思います。「グラディウス」や「がんばれゴエモン」などなど。
この頃は、VGMが一つの独立した分野として一人歩きし始めた頃でしょうか。大昔の単純な機械音から大きな進化を遂げた訳です。
ハドソン「スーパーマリオブラザーズ」「スターソルジャー」
最早、説明の必要もない売れに売れた超人気ソフト「スーパーマリオブラザーズ」と「スターソルジャー」のパソコン版の広告です。
どちらのソフトもファミコン版で空前の大ブームを巻き起こしましたが、パソコン版も発売されていたんですね。知りませんでした。
そういえば、パソコン版の「スーパーマリオブラザーズ」にはタイトルの後に「Special」の文字が入っているのですが、誌面のそれにはまだ記載されていない様です。
「スーパーマリオブラザーズ」は、PC-8801/8801mkII/8801mkIISR/X1turbo版が発売され、「スターソルジャー」は「BEE CARD」なる世界初のメモリーカードでMSX版が発売されました。当時、あまり普及しなかった「BEE CARD」ですが、1987年に発売されたPCエンジン用のHuCARDとして漸く日の目を見ました。
さて、このパソコン版の「スーパーマリオブラザーズ」。広告の静止画だけ見ると中々の出来ではないかと思うのですが、先日某動画サイトでその動きを確認してみたところ…やはりというか何というか、当時のパソコンの処理能力では難しかったのか、結構厳しい仕上がりとなっています。まあそれ以前に、ファミコンの出来が素晴らしすぎた訳ですが。
PC-88版
X1版
エニックス「軽井沢誘拐案内」
株式会社エニックス(現スクウェア・エニックス)のゲームソフトの広告です。大ヒット二大漫画と共に、ゲームデザイナーとして有名な堀井雄二氏が手掛けた、知る人ぞ知るアドベンチャーゲーム「軽井沢誘拐案内」が紹介されています。実はこの「軽井沢誘拐案内」、今でも手元にあったりします。当時、割と良いところまで進んだと思っていたのですが、遂にエンディングを迎えるには至りませんでした。パッケージには、手掛かりとなる紙焼きのカラー写真(画面をハードコピーしたもの)が同梱されていたりして、中々凝った演出がされていましたっけ。よし、久々に実機を動かしてみますか。いや多分動かさないな…。
株式会社エニックス(現スクウェア・エニックス)のゲームソフトの広告、その2です。実際にプレイしたことはないのですが、この中で記憶にあるのは「ウイングマン」と「Tokyoナンパストリート」辺りでしょうか。
それにしても、この「Tokyoナンパストリート」は、そのネーミングセンスが時代を感じさせてくれますね。MSX版のプレイ画面が紹介されていますが、今回改めて見てみると、これはこれで味があって良いかもです。
さて、広告とは別に左下の方に移植スタッフを募集していますが、この頃のエニックスは本当に忙しかったのでしょう。そんな中、もしかしたら卓越した技術力で制作プロダクションを渡り歩く「ナーシャ・ジベリ」の様な天才プログラマーが存在していたかもしれません。
アイレム/日本テレネット
アイレム販売株式会社より発売された「10ヤードファイト」「スペランカー」と株式会社日本テレネットより発売された「夢幻戦士ヴァリス」の広告です。アクションゲームを語る上で欠かせないのが、この「スペランカー」ではないでしょうか。もれなくMSX版でも発売されていたんですね。その伝説的なゲーム設定故、難易度が異常に高く、ファミコン版をプレイした際にはクリアは絶対不可能と思ったものです。しかしながらどの分野にも猛者はいるもので、少なからずクリアしている方がいらっしゃるんですね。いやあホント凄い。
コンパイル/システムサコム
「ぷよぷよ」で一世を風靡したコンパイルの「ガーディック」とシステムサコムの「メルヘンヴェール 」の広告です。精密に描かれた自機のイラストが、正統派シューティングゲームを予感させる「ガーディック」。I・A(インテリジェント・アクション)なる要素を引っさげて発売されました。一方、システムサコムの「メルヘンヴェール 」ですが、「私たちは子供だましではないゲームを創りたい」と謳っているように、ゲーム制作における強い信念が伺えます。ゲーム自体も独自の世界観が確立したアクションロールプレイングで、その世界観に夢中になった方もいたのではないでしょうか。
ジャレコ
株式会社ジャレコのMSX版ソフトの広告です。こうして見るとMSX版のソフトって、結構発売されていたんですね。「忍者じゃじゃ丸くん」や「シティコネクション」のタイトルは記憶にあります。因みにこの誌面には掲載されていませんが、後に誕生したジャレコのマーク(青色の楕円に白抜きのギザギザ線が三本)のデザインは、日本を代表するグラフィックデザイナー、田中一光氏が手掛けたものだったのですね、知りませんでした。
時間があったので、ジャレコのロゴをイラレで描き起こして、社名の由来なんぞを推測してみました。田中一光氏が手掛けたジャレコのデザイン。果たしてそのデザイン代は如何ほどだったのでしょうか。
ナムコ「スーパーゼビウス」/電波新聞社
namcotより、ファミリーコンピュータ用ソフト、あの「ゼビウス」が大幅にパワーアップした「スーパーゼビウス ガンプの謎」のご紹介です。イメージキャラクターは木村一八氏。(何故?)前作が余りにも歴史に残る記念碑的作品でしたので、中々続編を出すのは難しかったとは思うのですが「1Mビット(バイトでは御座いません)ROM搭載」の文字に気合が感じられます。ゲーム内容も新たに「謎解き」要素を設け、差別化が図られていますが、その「謎解き」が一癖も二癖もあり、一定の要件を満たさない限りいつまで経っても同じエリアをループする羽目に。中々辛い場面に多々遭遇しましたっけ。前作では「ソル」が出現したり「スペシャルフラッグ」で1UPといった一種の「謎解き」要素ではあるものの、本作のそれとは一線を画す設定故、ゲームの進行上において変な足止めをくらう事はありませんでした。その点を考慮すると、この「スーパーゼビウス ガンプの謎」は好みが分かれる作品だったかもしれません。
次ページには、最早説明の必要もない電波新聞社の移植ソフトの数々ですね。ナムコのゲーム史上に燦然と輝く「パックマン」と「ギャラクシアン」が、数多くのパソコンに移植されています。その殆どがテープ版なのが嬉しいところですね。さて、移植された機種をザッと眺めたところ、珍しいところではMZ-1500用のメディア「QD(クイックディスク)」でしょうか。当時、友人が所有していましたが、その読み込みの早さに唖然とした記憶があります。
次ページも、「ディグダグ」「マッピー」「ギャラガ」「ラリーX」「グロブダー」「ゼビウス」…正に燦然と輝くナムコ黄金期の移植ゲームソフトのご紹介です。
珍しいところでは「PC-8001」版の「ディグダグ」でしょうか。グラフィック機能に厳しい8001で、かなり健闘しているのではないかと思います。
また「PC-6001」版の「タイニーゼビウス」も掲載されていますね。これも当時としては驚異の移植でした。しかも、作者は何と中学生! しかしながら如何せん本家とは良くも悪くもかけ離れていたため、販売の際に本家のナムコより許可が降りませんでした。そのため、タイトルに「TINY」の文字を付けさせられたというエピソードが残っています。
「グロブダー」をはじめ「ドルアーガの塔」「ボスコニアン」等、まだまだナムコの傑作ゲームが目白押しと言ったところでしょうか。それにしてもやはり「MZ-2500」版の「ゼビウス」の静止画は美しいですね。しかも静止画のみならず、その実際のプレイ画面も8ビット最高を誇る滑らかさ。果たして当時、このMZ-2500版で遊べたユーザーは、どの位いたのでしょうか。
「ドルアーガの塔」は1984年にナムコよりアーケードゲームとして誕生したアクションRPGです。ゲームデザインは「ゼビウス」で有名な遠藤雅伸氏。主人公のギルが、60階建ての塔を攻略する長く険しい物語です。クリアするまでにかなりの時間を要する、歯ごたえありまくりのゲームとして記憶しています。その昔ゲームセンター(最早死語?)にて、何度が「ドルアーガの塔」をクリアする場面に出くわした事があるのですが、ハッキリ言ってエンディングは名曲です。機会があれば一度聴いてみる事をオススメします。今までの苦労が報われる、壮大で澄んだメロディーに心打たれる事間違い無しです。
何を隠そう、私が最初に購入してもらったパソコンは、ナショナルの「CF2000」でした。カーソルキーの形状が特徴的で、友人に揶揄された思い出があります。そんな思い出深いMSX版の移植ソフトが目白押し! 流石は電波新聞社ですね。
当時は「マッピー」と「ラリーX」で遊んだ記憶があります。MSX版の「マッピー」はオリジナルより階数が少なかったり、キャラクターが1色表示だったり、ボーナス面が割愛されたりしていましたが、ゲーム性は全く損なわれておらず、寧ろゲーム性の秀逸さが浮き彫りにされた感じでした。軽快なVGMも素晴らしかったです。無敵の「ご先祖様」が出て来ると、中々緊迫した場面の連続でしたが。
因みに「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽を手掛けたすぎやまこういち氏は、ゲームセンターで初めて気に入った音楽が「マッピー」だったそうです。そんなすぎやまこういち氏は2021年9月30日に90歳で亡くなられました。氏のご冥福をお祈り致します。
コナミ「夢大陸アドベンチャー」
1986年にコナミより発売されたMSX用ソフト「夢大陸アドベンチャー」のご紹介です。「教育シリーズ」の第一弾として発売された「けっきょく南極大冒険」の続編ですね。
「けっきょく南極大冒険」は、やや強引な「I love 地理」というジャンルで、学習用ソフト的な位置付けでした。これは購入時に「学習用ソフトだよ」といった感じで大人を説得しやすいのではないか、それが詰まるところ売上げアップに繋がるのではないか、という目論見があったのかどうかは定かではありません。
さて、この「夢大陸アドベンチャー」。今回も擬似3Dスクロールは健在の様ですね。1Mビットの大容量(当時)を引っさげて、多彩なステージ構成、多様なアイテムが用意されています。
ところで個人的に気になるのは、左下に紹介されている「新世SIZER」です。このソフトのタイトル……一所懸命考えたのではないかと思うのですが、只の駄洒落で終わってしまっているような気がしないでもないです…。因みにこの「新世SIZER」を調べてみると、2021年9月29日現在、ヤフオクでは50,000円から、まんだらけの通信販売では93,500円(税込)! でした。 販売数が少ない為か、かなりのプレミア価格となっているみたいですね。
ニデコ「影の伝説」
庄子(しょうじ)デンキ(2012年消滅)よりパソコン販売の広告です。SONYの「HIT BIT」、ナショナルの「キングコング」などMSXのブランド名が懐かしいです。NECのワープロ「文豪」も、また然りです。そう言えばこの頃はビクターも、まだMSXを販売していたんですね。
次ページには、オフィシャル移植の先駆け、株式会社ニデコよりタイトーソフトのご紹介です。「影の伝説」「エレベーターアクション」「ちゃっくんぽっぷ」「フロントライン」などなど、タイトーの名作が目白押しですね。そんな中、忘れてはいけないタイトルが一つ。左下の方に小さく掲載されていますが、そう誰もが知るであろう「スペースインベーダー」がひっそりと紹介されています。「Part II」はともかく、初代に関してはこれ無くしてビデオゲームは語れません。未だに破られない、タイトーが1978年に発売した日本のアーケードゲーム史上最大のヒット作です。
裏表紙
裏表紙には日立のMSXパソコンH3とH25が紹介されています。イメージキャラクターは工藤夕貴氏。「青春は、ゲームだけじゃない。」というキャッチコピーが示す通り、各社がMSXを只のゲームマシンとしてだけではなく、色々なアイデアを盛り込み、独自のカラーを出して他社との差別化を始めた頃でしょうか。そんな中、日立は「ドキドキドッキング」と称して(何だこのネーミングは)手書きタブレットを搭載して付加価値を高めた訳ですね。正直その性能は疑問ですが、この時代にタブレット搭載とは中々です。その心意気は買いたいと思います。